【「パブリカ高崎」から「トヨタパブリカ高崎」へ】
2021.06.09
カロ高55周年にあたり、創業から現在までを振り返る企画第二弾!!
今回はパブリカ高崎からトヨタパブリカ高崎になるまでのお話・・・
昭和41年7月に【パブリカ高崎】として創業した当社。
同年11月に早くも「トヨタパブリカ高崎」へと社名を変更します。
調べてみるとこの年、先発のパブリカ店を含めて
全国一斉に【トヨタパブリカ〇○】に社名を切り替えています。
当社は現在【トヨタカローラ高崎】という社名ですが、
かつて、【トヨタパブリカ高崎】だったことを知る社員さんはだいぶ少なくなり、
さらにその前が【パブリカ高崎】だったことを知る社員さんは、ほとんどいません。
当社は実は、2回社名を変更しているのです。
さてそんな当社ですが、昭和43年4月、本社以外では初の営業拠点である
【藤岡営業所(現:新町バイパス店)】を開設しました。

・「大衆車は個人のお客様が中心なので、夜討ち・朝駆けで営業していた」
・「夜、表札が見えないからマッチをこすってたら、放火と間違えられた」
社史にはこのようなコトバが残っています。
「店舗来店型」が主流の現在の販売スタイルとはだいぶ違っていたようです。
しかし、スタイルはともかく、「ガムシャラにクルマの販売を行っていた」点は
今でも学ぶことがあると思います。
その後、藤岡営業所は平成13年に、「新町バイパス店」に改称。
同25年には、リニューアルを行い、現在に至ります。
写真は、リニューアルの際、取り外し磨き処理をした、門扉のプレートです。

かつての社名・営業所名が刻まれたプレートは現在、役員室に保存されています。
とても、とても重いです。
<昭和43年の出来事>
・3億円事件
・「週刊少年ジャンプ」が創刊
・川端康成氏が、ノーベル文学賞を受賞
・日本のGNP(“国民”総生産)が、世界2位に
今回はパブリカ高崎からトヨタパブリカ高崎になるまでのお話・・・
昭和41年7月に【パブリカ高崎】として創業した当社。
同年11月に早くも「トヨタパブリカ高崎」へと社名を変更します。
調べてみるとこの年、先発のパブリカ店を含めて
全国一斉に【トヨタパブリカ〇○】に社名を切り替えています。
当社は現在【トヨタカローラ高崎】という社名ですが、
かつて、【トヨタパブリカ高崎】だったことを知る社員さんはだいぶ少なくなり、
さらにその前が【パブリカ高崎】だったことを知る社員さんは、ほとんどいません。
当社は実は、2回社名を変更しているのです。
さてそんな当社ですが、昭和43年4月、本社以外では初の営業拠点である
【藤岡営業所(現:新町バイパス店)】を開設しました。

・「大衆車は個人のお客様が中心なので、夜討ち・朝駆けで営業していた」
・「夜、表札が見えないからマッチをこすってたら、放火と間違えられた」
社史にはこのようなコトバが残っています。
「店舗来店型」が主流の現在の販売スタイルとはだいぶ違っていたようです。
しかし、スタイルはともかく、「ガムシャラにクルマの販売を行っていた」点は
今でも学ぶことがあると思います。
その後、藤岡営業所は平成13年に、「新町バイパス店」に改称。
同25年には、リニューアルを行い、現在に至ります。
写真は、リニューアルの際、取り外し磨き処理をした、門扉のプレートです。

かつての社名・営業所名が刻まれたプレートは現在、役員室に保存されています。
とても、とても重いです。
<昭和43年の出来事>
・3億円事件
・「週刊少年ジャンプ」が創刊
・川端康成氏が、ノーベル文学賞を受賞
・日本のGNP(“国民”総生産)が、世界2位に