【カロ高】公式ロゴ完成!!
2021.06.17
本社企画担当の佐鳥です☆
日頃より弊社をご愛顧頂き誠にありがとうございます。
ここ数年、【カロ高】と表記することが多くなり
より多くのお客様に親しみを持って頂くために
今回公式ロゴを作成しました~(*^▽^*)
完成した公式ロゴがこちらっ!!
※2つのロゴの違いはCOROLLA TAKASAKIの文字の有無です
「カロ高」の文字をベースとして、様々なモチーフを所々にまぎれさせ
地域密着の親しみやすさを表現しました!!
高崎といえばダルマ!さらに右下のクルマは家族で出かける楽しさを表現(^^)/
今後、【カロ高】公式ロゴを使って、みなさまに
よりご愛顧頂けるよう精進して参ります!!
今後もぜひ【カロ高】をよろしくお願いします☆

【トヨタ初の大衆車「パブリカ」】
2021.06.16
「パプリ~カ♪花が咲いーたーらー♪」-。
近年こんな歌がはやりましたね。
今回お話するのは「パプリカ」ではなく、トヨタ初の大衆車【パブリカ】です。
かつて、トヨタには「パブリカ」というクルマがありました。
そして当社の創業時の社名は「パブリカ高崎」。
今回は、社名に付された「パブリカ」というクルマを紹介させていただきます。
パブリカは昭和36年(1961年)6月発売されたトヨタ初の大衆車。
「パブリック・カー」からの造語です。車名は一般公募されました(応募数108万通、賞金は100万円)
残念ながら、パブリカの「販売」経験がある社員さんは現在、当社には在籍しておりません。
ただ、「整備」経験がある社員さんはおり、パブリカの印象を聞くと、
・「空冷エンジンだった」
・「燃料メーターがなく、給油口で確認した」
・「パタパタ音がした」
とのこと。
現代の「静かなエンジン」に慣れている私たちからすると違和感があるのかもしれませんが、
「パタパタ音」も慣れれば、きっと心地の良いものだったのでしょう。
ただ、当初は販売では苦戦。
販売価格を抑えるため、内装・装備が簡素過ぎたのか
お客様に支持されなったようです。
しかしその後、デラックス版の設定、マイナー・モデルチェンジによる改善などにより
内外装に高級感を演出したことが奏功し、販売台数は軌道に乗り
車名通り、「大衆車」の「先駆け」的存在になりました。
「パブリカ」はその後販売される「カローラ」に、大衆車の主役を譲ることになりますが
トヨタ創業以来の宿願である「国民大衆車の量産・量販」を体現したクルマであると言えるでしょう。
当社にとっても、創業時の経営を支えくれたクルマであることは間違いありません。
<主要スペック:トヨタ パブリカ (UP10型)>
・全長3520㎜
・全幅1415㎜
・全高1380㎜
・ホイールベース2130㎜
・車重580kg
・FR・U型空冷水平対向2気筒697cc
・最高出力28ps/4300rpm、最大トルク5.4kgm/2800rpm
・変速機4速コラムMT・乗車定員4名・最高速110km/h
・販売価格38万9000円(当時の大卒初任給は14,817 円)
<昭和36年の主な出来事>
・ソ連宇宙船ボストーク1号がユーリイ・ガガーリン飛行士を乗せ、人類初地球一周に成功
・大関の柏戸(第47代)、大鵬(第48代)が同時に横綱昇進
<「国民車構想」>
「一定の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国が製造販売を支援する」-。
昭和30年5月、一部メディアが、通商産業省(現 経済産業省)筋の話として
「国民車育要要綱案(国民車構想)」を報道。
結果的に、「大衆車」に対して補助を行うことはなかったのですが
政府が当時、国産メーカーに対して、小型大衆車の普及を後押しする動きがあったようです。
こういった時代背景もあり、自動車各メーカーは当時、小型大衆車の量産に向け開発競争をしていました。「パブリカ」はまさに「国民車」になるべく、期待を背負って誕生したのでしょう。

【「パブリカ高崎」から「トヨタパブリカ高崎」へ】
2021.06.09
カロ高55周年にあたり、創業から現在までを振り返る企画第二弾!!
今回はパブリカ高崎からトヨタパブリカ高崎になるまでのお話・・・
昭和41年7月に【パブリカ高崎】として創業した当社。
同年11月に早くも「トヨタパブリカ高崎」へと社名を変更します。
調べてみるとこの年、先発のパブリカ店を含めて
全国一斉に【トヨタパブリカ〇○】に社名を切り替えています。
当社は現在【トヨタカローラ高崎】という社名ですが、
かつて、【トヨタパブリカ高崎】だったことを知る社員さんはだいぶ少なくなり、
さらにその前が【パブリカ高崎】だったことを知る社員さんは、ほとんどいません。
当社は実は、2回社名を変更しているのです。
さてそんな当社ですが、昭和43年4月、本社以外では初の営業拠点である
【藤岡営業所(現:新町バイパス店)】を開設しました。
・「大衆車は個人のお客様が中心なので、夜討ち・朝駆けで営業していた」
・「夜、表札が見えないからマッチをこすってたら、放火と間違えられた」
社史にはこのようなコトバが残っています。
「店舗来店型」が主流の現在の販売スタイルとはだいぶ違っていたようです。
しかし、スタイルはともかく、「ガムシャラにクルマの販売を行っていた」点は
今でも学ぶことがあると思います。
その後、藤岡営業所は平成13年に、「新町バイパス店」に改称。
同25年には、リニューアルを行い、現在に至ります。
写真は、リニューアルの際、取り外し磨き処理をした、門扉のプレートです。
かつての社名・営業所名が刻まれたプレートは現在、役員室に保存されています。
とても、とても重いです。
<昭和43年の出来事>
・3億円事件
・「週刊少年ジャンプ」が創刊
・川端康成氏が、ノーベル文学賞を受賞
・日本のGNP(“国民”総生産)が、世界2位に

【カロ高の歴史=創業=】
2021.06.03
カロ高55周年にあたり、創業から現在までを振り返る企画第一弾!!
まずは創業当時のお話から・・・
昭和41年(1966年)7月23日、「パブリカ高崎株式会社」として、産声を上げました。
そして、同年10月1日、本社を高崎市昭和町に開設しました。
「『組織』というより『運動部の集団』だった」-。
役員を除くと、31歳が最年長と、非常に若いメンバーによる立ち上げだったようです。
また、社員数が「47名」だったことから、時代劇でお馴染みの赤穂浪士になぞらえて
創業メンバーは「四十七士(しじゅうしちし)」と呼ばれていたとのこと。
なお、創業初年の販売台数は「376台」でした。
※写真は、同年10月3日に行われた本社開設披露の様子です。
※現在では、本社開設日である10月1日を、当社の「創業記念日」としています。
<昭和41年の主な出来事>
・「ザ・ビートルズ」、来日
・「ウルトラマン」放送開始
今後定期的に振り返り企画を行いますので、お楽しみに!!

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